或る世界

2021年10月

屋根を戻る赤

車は先へ進み赤い帯だけが後ろへ滑る

赤い看板の前へ黒い車が入ると、ボンネットに細い光が載った。車は道の先へ進んでいるのに、赤い帯はフロントガラスを上り、屋根の前から後ろへ滑っていく。両者の向きが反対に見え、歩道で首だけを車へ合わせた。

看板の光は車に付いて走っているのではない。光の届く短い区間へ車体が入り、前の面から順に受け取っては外れていく。そのため車が先へ運ぶほど、赤さは車体の後方へ移る。屋根の中央で一度広がり、後ろの窓では細くなった。

親指と人差し指で小さな隙間を作り、そこから車だけを見る。看板も店先も隠れると、赤い帯は車体自身が発しているようだった。隙間を少し左へ動かせば、赤さの出発点である看板が戻る。目の前に両方があるときより、片方を隠した方が色の所属は簡単に入れ替わった。

車の後部が光の区間を抜ける。赤い帯は最後まで追いかけず、角を回る手前で薄く切れた。車は黒さを取り戻したまま先へ進み、看板の赤は元の位置のままだ。次の青い車が入ると、その赤は青い面の上で紫に近い色へ変わる。

白い車では、同じ光がボンネットから扉まで長く残った。進む速さは前の車と大きく違わなくても、赤さの境目がぼやけ、どこで受け取りどこで返したのか分かりにくい。後輪が看板の前を過ぎたあと、路面に落ちた赤だけが動かず、その上を黒いタイヤが横切った。

青い文字の水際

傾けた名前を水平な一口が横切っていく

脚をつまんでグラスを少し傾けると、青い文字が右下がりになる。黄金色の液面は文字と一緒には傾かず、卓とほぼ平行なまま、最下段の一文字を下から覆った。手首を戻せば、文字だけが水平へ戻る。

器に印刷された線は、ガラスの向きに従う。中身の表面は器の内側に触れながら、重力に対して自分の水平を保つ。どちらも同じ手で傾けたはずなのに、一方は手首とともに回り、もう一方は形を変えてその場へ残ろうとした。

今度は口元へ近づけながら、ゆっくり角度を増やす。液面の端が青い文字の下を左から右へ進み、縦棒を短くし、丸い部分を半分に切った。文字は読めなくなるのではなく、液体の中へ入った部分だけ太く見える。境目を越えた同じ線が、空気側と液体側でわずかにずれていた。

一口飲む。グラスの角度は同じでも、液面の位置だけが少し低い。さっきまで沈んでいた線が空気側へ戻り、青さは細くなる。飲んだ量は口へ移ったが、その変化を先に示したのは味や重さではなく、文字の途中を移動する境目だった。

グラスを卓へ戻す。青い文字と液面は再び平行になったが、最初と同じ高さでは交わらない。外側の結露を指で一筋拭うと、透明になった細い場所だけ、液面の縁を途切れずに見通せる。そこへ新しい滴が下り、水平な線を縦に横切った。

左目の仮の枝

一歩ずれると幹から空の細い隙間が生まれる

左目を閉じ、幹の途中へ人差し指を重ねた。そこから斜め上へ伸びる太い線は、途中までは一本の枝に見える。指先でその線をたどると、葉のない区間を通り、別の枝の下へ入り込んだ。

右へ一歩ずれる。さっき幹へつながっていた斜めの線が左へ離れ、間に青空が細く開いた。枝だと思った線は若木を支える棒で、幹とは低い位置で結ばれている。見上げた角度では、その結び目が建物の縁に隠れていた。

立ち位置を元へ戻すと、空の隙間は狭まり、支柱がもう一度幹へ重なる。二本が接して見える地点は、木にも棒にも印がない。こちらの目と二本の線が一直線になった場所だけに、仮の分岐が生まれている。

今度は右目を閉じた。支柱は幹の反対側へ少しずれ、さっき枝に見えた線が最初から別物として見える。頭を動かさなくても、使う目を替えるだけで空の隙間が現れた。両目を開けば、二つの像は重なりながら奥行きを取り戻す。

若木へ近づき、指を伸ばせる距離で止まる。幹の表面は細く曲がり、支柱は削られた直線のままだ。触れずに指先を両者の間へ差し入れると、遠くから消えていた空が指一本ぶん残る。その隙間を葉の影が横切り、支柱の側だけすぐ明るさを戻した。

溝に残る赤

爪が越えた段差だけ赤い紙は細く残る

赤いシールの角へ爪を入れ、透明な蓋から少し持ち上げた。平らな場所では幅のまま剥がれたが、成形された溝へ届くと急に重くなる。さらに引くと、赤い紙は溝の縁で二つに裂け、細い方だけが蓋へ残った。

残った赤は、溝の底から斜面へ沿っている。上から爪を滑らせても段差で止まり、端をつかめない。蓋の平面を押さえると、透明な面が内側へたわみ、溝の角だけが指先へ硬く返ってくる。

シールは柔らかく、蓋の凹凸に合わせて貼られていた。けれど剥がすときには、その柔らかさが一枚のまま戻るとは限らない。平面へ付いた部分は同じ角度で持ち上がり、溝の中だけは引く向きと接着面の向きがずれる。形に従って貼れたものが、形を逆にたどっては剥がれなかった。

容器を半回転させ、今度は溝の低い側から爪を入れる。細片の端が透明な面から浮き、指の腹へ貼り付いた。ゆっくり引くと赤い線は溝を上り、最初に破れた縁までつながる。そこでまた短く切れ、爪先に数ミリだけ残った。

大きく剥がれたシールへ、その細片を押し付ける。元の切れ目は合わず、赤い線が少し斜めに重なった。蓋には紙がなくなったが、溝の底だけ接着剤の光が細く続いている。指でなぞると一度引っ掛かり、透明な段差が小さく鳴った。

泡の袖口

黒いストローを囲む淡い泡の表面

黒いストローを指でつまみ、一センチほど引き上げた。液面に触れていたところから、淡い泡が輪になってついてくる。黒い管の途中に白い袖口ができ、さっきまで表面だった高さをそのまま示していた。

さらに上げると、輪は管を滑らず、厚みだけを失っていく。下の液面ではストローの跡がもう閉じているのに、管の外側には境目が残った。水位を示す線ではない。液面から切り離され、泡だけで持ち運ばれている線だ。

ストローを静かに下ろした。袖口の下端が液面へ触れると、白い輪は横へほどける。ただし全部は表面へ戻らず、管と飲み物の間に透明な筋が一本残った。そこだけ空気が細く押し込まれている。

もう少し沈めると、筋の先がちぎれて小さな気泡になった。気泡は黒い管に沿って上がり、途中で一度、泡の残りへ引っ掛かる。指を離すと、丸い粒だけが先へ抜けた。ストローを傾けても、その粒はもう輪には広がらない。持ち上げた袖口は元の輪へ戻らず、管の外側を通って、一粒の空気として液面へ浮かび出る。

次の石から出る水

見えない継ぎ目から足もとへ水が出る

爪先を、草の間に半分だけ見える矩形の石へ載せる。体重を移すと、靴の下ではなく、その一つ先の葉の隙間から濁った水が細く出た。水は短い直線を二本描き、見えない石の角で曲がる。

二本の直線を石の縁だと決め、交わる角へ棒を差し入れた。葉を分けると、その通りに灰色の角が現れる。水は硬い面を通り抜けず、縁へ押し出されたのだろう。次も同じ線を探せば、石へ足を置けるように思えた。

現れた石の中央は泥に覆われ、硬さまでは見えない。踵を手前へ残したまま、爪先だけで二度押す。一度目は沈み、二度目には水が左右へ抜けて硬い面が返った。体重を移すと、その先でも濁った筋が動き始める。

片足を移した。さらに前方の筋も直角に曲がったので、同じ場所へ棒を伸ばす。触れたのは石ではなく、横倒しになった太い茎だった。泥水はその脇にも細い縁を作り、硬い角と同じ印を残す。

棒で茎を持ち上げると、水の直角は崩れ、下には柔らかな泥だけがある。爪先を少し戻す。踏み終えた石の継ぎ目から小さな泡が一つ上がり、今度はどの線にも沿わず、その場で丸く消えた。

箱の角を追う帯

持ち上げた角へ残る帯が斜めに寄る

台紙の端で、横向きの紙帯へ鋏を入れた。乾いた音とともに二つの切り口が浮いたが、白い箱は台紙から離れない。直角に交わっていたもう一本は、箱の中央を押さえたままだ。

切れた帯を左右へ開き、手前の角へ指を掛ける。箱を持ち上げるにつれ、残った帯は上面の中央から角へ滑った。まっすぐだった褐色の線が斜めになり、持ち上がった側では緩む一方、反対側の角へ深く食い込む。

そのまま引けば抜けそうなのに、力を加えるほど箱は斜めに止まった。いったん台紙へ戻し、帯の下へ人差し指を差し込む。指の背で帯を浮かせ、もう一方の手で箱を横へ送る。褐色の線は上面を横切る位置から動かず、白い箱の方だけが少しずつずれていく。

箱の端が帯へ近づくと、指先に掛かる張りが強くなった。上面にあった帯は角へ達し、そこから側面へ回り込む。箱は横へ動いているのに、押さえられる場所は上から下へ移る。角を越えた帯が、今度は箱を台紙の縁へ引き戻した。

親指で箱を支え、人差し指だけを帯から抜く。空いた帯は側面を滑り、最後の角の下へ入り込んだ。そこを越えるまで箱はまだ台紙とつながっている。手首を少し返すと、紙が底を擦って短く鳴り、白い箱が掌へ落ちた。帯はようやく台紙へ戻り、切れた一本の端だけが箱の跡へ重なる。

両端がまだ皿にある

中央をつまんでも両端はまだ一口にならない

長い緑の一本を、箸で中央から持ち上げた。つまんだ場所だけが先に上がり、両端は炒め物の山へ残ったままだ。逆さの細いU字ができ、内側にたれの光が集まる。

箸をさらに上げると、左端が先に抜け、たれの細い筋を皿へ落とした。右端は表面へ貼り付いたまま伸び、山は元の形を保つ。一本をつかんだはずなのに、まだ皿から離れた一口にはならない。箸を横へずらして初めて、右端もたれから剥がれた。

それを皿へ戻し、隣にある淡い細切りを同じ位置でつまむ。長さはよく似ていたが、こちらはほとんど曲がらず、両端が同時に山から離れた。周囲の具も動かない。中央を持つという同じ動作が、一方には二つの遅い端を作り、もう一方を最初から一本として運ぶ。

緑の一本を、今度は端に近いところでつまんだ。短い側はすぐ宙へ出たが、長い側は山の表面をなぞり、たれを細く拭っていく。箸を回すと緑は二本の先へ巻き付き、ようやく両端が皿を離れた。

口元へ運ぶ前に箸を少し緩める。巻かれた緑は半周だけほどけ、長い端がもう一度皿へ触れた。たれの点が白い縁へ付き、下の山では淡い細切りが一本、さっき持ち上げた向きのまま横たわっている。

一回ぶん高いねじ

頭がそろっても金属板の端だけが浮く

小さな金属板を留める二本のねじを、一本ずつ緩めた。頭の大きさも色も同じに見えたので、外した順に白い紙へ置く。二本目が横へ倒れ、一方の軸だけがわずかに長いと分かった。

金属板を戻し、長い方を手前の穴へ入れる。ねじ回しを二度回すと抵抗が増えたが、頭は板より少し高い。もう半回転させると板の手前だけが沈み、反対の端が持ち上がった。指を離せば、薄い板が小さく上下する。

強く締めれば平らになりそうだった。それでも一度戻し、二本を入れ替える。短い方は手前の穴へ一回転多く入り、頭が板の面まで下がった。奥の穴では長い方が同じ高さに収まり、板の四辺がいっせいに動かなくなる。

外す前には、二つの頭は同じ面へ並んでいた。軸の違いは内部へ隠れ、正しい穴に入ったときにも見えない。間違えたときだけ、ねじの高さではなく、押さえられるはずの板の傾きとして外へ現れた。

念のため二本をもう一度緩め、磁石の付いたねじ回しで同時に持ち上げる。短い方が先に外れて長い方の頭へ付き、二本は縦につながった。指で分けて紙へ寝かせると、長い軸の先だけが短い方の影から出ている。