全部見えて、どこにもいない

高い窓の前に立つと、幹線道路からほどける何本もの道が一度に見えた。左へ回る長いランプも、その下を直進する車列も、離れた先でまた合流する場所も見渡せる。
地上であの分岐へ入れば、見えるのは前の車と、次の標識と、左右の車線くらいだろう。全体図を知っていても、曲線の途中では、いま走る一本が街のほとんどになる。
では、高所にいる私は、地上の運転者より道を知っているのだろうか。確かに、選ばなかった先まで見えている。しかし、こちらにはハンドルも速度もなく、どの分岐を選び損ねる心配もない。すべてを見られる代わりに、一つも進めない場所にいる。
地上の車は全体を見失うが、そのたび一つの道を現実にする。高所の目は可能性を残せるが、どれも自分の経路にはならない。知ることと選ぶことは、同じ高さでは両立しにくいらしい。
一台の赤い灯りを目で追うと、車は高架の下へ入り、そこで消えた。道の続きは見えているのに、その車がどちらを選んだのかだけが、急にわからなくなった。