或る世界

手を使わない時間

できることを閉じると、向けた先が見えてくる

市場を歩く人の手は、たいてい何かに使われている。袋を提げ、財布を開き、バイクのハンドルを握る。その中で、一人が身体を低くし、胸の前で両手を合わせた。

掌を合わせると、手は空いているのに、ほかのことには使えなくなる。物を持つことも、別の方角を指すこともできない。何もしていない手ではなく、一つの身振りのために、ほかの動作を閉じた手である。

できることが多いほど、自由だと思っていた。しかし、何かへ注意を向けるときには、できることを増やすより、一時的に減らす方が伝わる場合がある。歩ける足を止め、使える手を合わせ、普段より低い位置へ身体を置く。その短い制限が、時間の宛先を見えるようにする。

周囲の用事まで止まったわけではない。品物は渡され、車は通り、別の手は別の仕事を続けている。それでも、合わせた二つの掌だけは、そのあいだ、ほかの何にも参加しなかった。

僧衣の人が通り過ぎると、掌は離れ、しゃがんでいた人も立ち上がった。手はまた物を持てる形へ戻った。何も失わない短い不自由が終わり、その人の用事が再び両手へ戻ってきた。