川は二本にならない

坂を上り切って町を見下ろすと、川の途中に細長い砂州があった。流れはその手前で左右へ分かれ、別々の岸に沿って進んでいる。
道なら、分かれたところから二本と数える。右の道と左の道には、それぞれ別の線を引ける。しかし川は二手になっても、同じ名前のままである。
砂州の右を通る水と左を通る水は、しばらく互いに触れない。水面だけを見れば二つあり、岸を数えれば外側の岸に加えて砂の縁もある。それでも川の名は、砂州の手前で二つに割れない。
一つであることは、すべての部分が触れ続けることではないらしい。いま隣り合っているかではなく、どこから来て、どこへ続くかという前後の接続が、離れた水を同じ流れの内側に置いている。
砂州の先で、二つの流れは境目を失っていた。どちらが右を通ってきた水かは、もう見分けられない。川は二本になったのではなく、一つの川のまま、砂の両側を使ったのだった。