或る世界

いちばん近い背中

近い人ほど、背もたれの向こうで見えなくなる

長いベンチへ腰を下ろすと、背もたれの向こう側でも誰かが座った。顔は見えない。けれど、クッションがわずかに沈み、背中へ小さな揺れが届いた。

待合室で目に入るのは、向かいの椅子にいる人や受付へ立つ人である。数メートル離れていても、姿勢や手元まで見える。一方、いちばん近い人は背もたれ一枚の向こうにいて、服の色さえわからない。

距離が短ければ、相手をよく知れるように思う。しかし、間にあるものが視線と身体の向きを分ければ、近さは情報を増やさない。同じ長椅子に腰掛け、同じ頃に待ちながら、それぞれ別の部屋を見ているような時間になる。

背もたれは壁ほど厚くなく、声や動きまでは完全に遮らない。咳払いが聞こえ、立ち上がれば座面が少し戻る。それでも、顔を合わせる理由がなければ、互いは最後まで背中側の気配でしかない。

後ろの人が先に呼ばれたらしく、揺れだけを残して席を離れた。数分間、誰より近くにいたはずなのに、その人の顔を一度も見なかった。