或る世界

見るには停める

速度を手放した目に、道だったものの顔が戻る

バイクに乗っていると、美しいものも、まず道路になる。

アンコール・トムの南大門が近づいたときも、最初に気になったのは石の顔ではなかった。あの狭いところを対向車とすれ違えるか、路面に大きな段差はないか、前の車がどこで速度を落とすか。眺めるために来た場所を、通り抜けるための形として見ていた。

エンジンを止めると、同じ門から別のものが現れた。通れるかどうかだけを見ていた開口の上に、大きな顔があり、その周りに彫刻が重なっている。走っているあいだにも見えていたはずなのに、自分の用事に関係のない細部として、目を通り過ぎていたらしい。

速度は、景色を流すだけではない。目の前のものへ投げかける問いまで少なくする。進めるか、避けられるか、止まるべきか。移動に必要な問いだけを残せば、巨大な遺跡でさえ一つの道幅になる。

旅は場所を移ることで進む。しかし、場所を見るには、移ることを中断しなければならないことがある。バイクを降りて見上げると、さっきまで道だったものに、ようやく顔が戻っていた。