読めてしまう入口

シェムリアップを歩いていると、看板の文字を眺めても、どこから読めばよいのかわからないことがある。クメール文字は一つの線が長く続くように見え、店の名前なのか、料理の説明なのかさえ見分けられない。
その中で「PUB STREET」という英語を見つけると、急に入口が開いたように感じる。文字が読めるだけで、何をする場所なのかまでおおよそわかる。知らない街の中に、こちらが迷わず入れる区画が現れる。
しかし、読めたことは、こちらが街へ近づいた証拠とは限らない。その言葉の方が、旅行者のいる場所まで近づいてきてくれたのかもしれない。店へ入る前から、読む言葉も、歩く範囲も、客としての振る舞いも用意されている。
旅先で読める言葉に出会うと安心する。その一方で、安心できる場所ばかりを選べば、自分のわかる形に整えられた街だけを見ることになる。知らない文化へ来たつもりでも、実際には、旅行者を迎えるために翻訳された薄い入口を歩いているだけかもしれない。
英語の文字をくぐると、迷う心配は少し消えた。代わりに、自分が何者として迎えられているのかが、さっきよりはっきりした。読めたのは場所の名前だけではなく、そこにいる私の役名でもあった。