或る世界

道に着く

通り抜けるための場所へ、わざわざ留まりに行く

道は、どこかへ着くために通るものだと思っていた。駅から宿へ、宿から店へ。曲がり角や交差点は覚えても、用事が済めば、歩いた道そのものを目的地として数えることは少ない。

ところが、バンコクではカオサン通りへ行く、と言う。店の名前でも建物の名前でもなく、一本の道が行き先になる。入口らしい場所まで来ても、到着した人は立ち止まらず、そこからまた歩き始める。

目的地に着けば、移動は終わるはずである。しかし道へ着いた場合、終わりと始まりが同じ場所にある。ここまで来るために歩き、ここへ来たから歩く。足を止めた途端、目当てにしていた場所の一部を見失うような気さえする。

通りには、住所としての道と、場所としての道があるのかもしれない。前者は建物を探すための手掛かりになり、後者は歩くこと自体を中へ含んでいる。どの店に入らなくても、端から端まで歩けば、そこへ行ったと言える。

人の流れに混じって進み、振り返ると、入口はもう看板の向こうへ隠れていた。カオサン通りには着いていたが、まだどこにも着いていないようでもあった。