或る世界

触れてよい距離

離れるだけではない敬意を、掌から教わる

神聖なものの前では、少し離れて立つものだと思っていた。柵を越えず、手を触れず、声を小さくする。近づきすぎないことが、そのまま敬意になるように感じていた。

ところが、ワット・ムアンの巨大な坐仏では、人々が大きな指先へ手を伸ばす。触れることは禁じられた近さではなく、人生や仕事の発展を願う一つの作法だという。離れて頭を下げるだけでなく、掌を重ねるようにして願いを届ける。

触れてよいかどうかは、物の尊さだけで決まるのではないらしい。同じ寺院でも、遠くから拝む像があり、手を触れる場所がある。距離を保つことにも、距離を縮めることにも、それぞれの敬意が込められる。

知らない土地で困るのは、言葉の意味だけではない。どこまで近づき、靴をどこで脱ぎ、何に触れてよいのか。自分の暮らしでは無礼に思える距離が、別の場所では祈りのために用意されていることがある。

指先へ伸びる手を見てから、少し離れて像を見上げた。敬意とは、ただ遠ざかることではない。触れてよい場所を知り、その場所まで近づくことでもあるのだった。