食材になる手前

肉を食べるとき、その動物の顔を思い浮かべることは少ない。切り分けられ、料理の名前がつくと、口へ運ぶものは牛や鶏という生き物より、味や部位として近づいてくる。
ところが、元の姿が残っていると、その距離は急に短くなる。脚の位置や歯の並びが見えるだけで、皿へ届くまでに省かれていた時間が、一度に目の前へ戻ってくる。
見慣れない食材だから驚くのではないのかもしれない。普段食べているものも、最初から四角い肉だったわけではない。ただ、見慣れた食事では、動物から料理へ移る途中が上手に隠されている。
だからといって、姿が見える方が正しく、見えない方が間違いだとは思わない。毎回すべてを想像していたら、食事の手は重くなるだろう。しかし、名前が変わる途中をたまに見ると、食べ物が店や皿から生まれたわけではないことを思い出す。
切り分けられた一片には、もう顔も脚もなかった。それでも口へ運ぶ前だけは、料理の名前より先に、一頭ぶんの形が頭に残っていた。