或る世界

一口目は底にある

見えない始まりを、上まで返してから食べる

汁のある麺なら、箸を入れる前から、麺の周りに味が見えている。上から取っても下から取っても、どこかで汁に触れる。

汁なしの麺では、味の始まりが器の底に隠れていることがある。目に近い具から食べ始めるのではなく、箸を深く差し入れ、底の麺を持ち上げなければならない。

食べるための動作は、普通、上にあるものを減らして下へ進む。しかし、この一杯では最初に下から上へ戻る。見えなかったたれを引き上げ、表面にあった麺を沈め、器の中の上下を何度も入れ替える。

混ぜるというと、隣り合う具を横へ散らす動きを思い浮かべる。しかし、ここで埋めるのは器の深さである。底に偏った味を上まで運び、味の薄い麺を下へ送る。見えない上下の差が小さくなるまで、同じ場所を往復する。

箸で持ち上げた麺を返すと、底の色が少しずつ全体へ広がった。一口目は目の前にあったのではない。器のいちばん遠いところから、ようやく上まで来たのである。