四十立方メートルの沈黙

四十立方メートル、と書かれている。数字も単位も読めるのに、それがどれほどの水なのか、頭の中には何も現れなかった。
正確な数字を知れば、物事はよくわかると思っている。長さ、重さ、速さ。曖昧な「たくさん」を数字へ替えることで、誰にでも同じ量を伝えられる。
しかし、正確であることと、想像できることは別らしい。茶碗一杯の水なら手の重さがわかる。浴槽いっぱいなら、足を入れたときにあふれる高さを思い浮かべられる。立方メートルになると、数は明瞭なのに、水だけが見えなくなる。
おそらく、その数字を必要とする人には十分なのだろう。どれだけ使え、何をつなぎ、いつ補うべきかを判断できる。通りすがりの私だけが、正しさの前で大きさを失っている。
地面の下には、普段は見えず、使われないことを願われている水がある。四十という数字は、その沈黙を正確に測っている。私は最後まで量を思い描けないまま、表示だけをはっきり覚えた。