或る世界

口が先に行く

引き返せない返事ほど、口では軽い

店で辛さを尋ねられると、少しだけ勇敢になる。中辛で足りると思っていたはずなのに、口から出るのは、その一段上だったりする。

注文を受ける人は、私の小さな決心を復唱し、紙に書く。それで変更のできない約束がひとつできあがる。しばらくして皿が運ばれてくるころには、返事をしたときの勇気はもう薄れている。それでも、先ほどの自分に見栄を張るように箸をつける。

口は、ときどき身体より先へ行く。「できます」と答えてから方法を考え、「行きます」と言ってから遠さを知る。軽い返事のせいで苦労することもあるが、その返事がなければ越えようともしなかった場所がある。

食べ進めるうちに、辛さには少し慣れた。勇敢だったのは返事ではなく、返事に追いつこうとした身体のほうだったのかもしれない。