香りの手前

コーヒーの香りは、豆が初めから持っているものだと思っていた。挽いたときに強くなるのは、内側に閉じ込められていたものが外へ出るからなのだ、と。
ところが、火を入れる前の豆を前にすると、知っている香りはまだほとんどしない。色も手触りも、いつも袋から量る豆とは別のものに見える。馴染みのある一杯は、隠れている香りを取り出したものではなく、熱によって新しくつくられたものらしい。
人にも、初めから備わっていて、機会さえあれば現れる性質があると思うことがある。しかし、何かを経験した後で、それまでなかった性質が生まれることもあるのだろう。変化したのではなく、本性が出たのだと考える方が、話は簡単になる。だが、火を通る前には存在しなかった香りもある。
店を出たあと、服にかすかに焙煎の匂いが残っていた。家へ着くころには消えていたが、袋の中では、さっきまでなかった香りが少しずつ濃くなっていた。