或る世界

噛まない口

目が二つ付くだけで、道具にも性格が生まれる

道具に丸い目を二つ付けると、それまで気軽に動かしていた部分が、急に口のように見えてくる。金具へ手を伸ばすだけなのに、眠っている生き物を起こすような気分になった。

ファスナーは、普段なら開くか閉じるかだけの道具である。ところが目を付けられた途端、こちらが金具を引けば、口を無理に開かせることになる。何も感じないはずの鞄に、少し悪いことをするような気がしてくる。

ものが生き物に変わるには、手足も声も要らないらしい。丸い目が二つあれば十分で、あとは見る側が勝手に性格まで考える。この鞄は、驚いているのか、腹を空かせているのか、それとも黙ってこちらを値踏みしているのか。

もちろん、噛みつきはしない。それでも金具に手を伸ばすと、二つの目が少しだけ大きくなったように見えた。